回顧と展望と傾向と対策

これだけやってる文エフェでも、未だに自分でも「なんでこんな間違いが起こるんだ?」と思っていたことの原因と即興で思いついた対策を書きます。

要は「やたらテンパってる」と言うことなので、シンジ君が着てた「平常心」のタンクトップでも着ればいいんですが、今の俺がタンクトップで街を歩いていたら職質されてしまうので、別のやり方。

まあ、タイポに気づいたときに「消す」を必要最低限だけ押すように意識するあまり、消しすぎたり足りなかったりしたときにものすごいテンパる。今日も「おのの(小野)」を「のおお」とか打ってましたからね…自分でもわかんなかったんだから、対戦してた人たちも「どうやったらそんな間違いするの?」と思ってたかもしれない。

対策。タイポしたら全部消して1文字目から打ち直す。時間が削られるのは痛いけど、上記のような誤答で落とすよりはマシ。

じゃあ、劇場版まどマギの青円盤観てからねます。おやすみんごす。

あ〜おーいえん〜ばん〜

密林からのメールの内容が正しければ、明日映画まどマギの青円盤が届く!しかし、明日は朝早くからやることが詰まっていて、忙しい!「やること」の中には「やらなくてもいいこと」も含まれるが、もう少しでゴールが見えるからね…ゴールじゃなくてリタイア席とも言えるけどね…。

そんなわけで、いつもの皆さんは「ファミリーベーシック起動実験及び俺様を労う会」をいつやるか考えといて!テレビエヴァの最終回みたいのはやめてね。「おめでとう」じゃないから!

ファミリーベーシックの箱を開けたら他のカセットも入ってましたが、特殊デバイスによる入力が必須なんだよね…。(撃つヤツ)

じゃあ、オヤスミンゴス。

虚学?実学?

今日は普段より長くなります。

僕が歴史の勉強をしていたことは、これを読んでる方なら大体知ってるでしょう。

その事に関して一番多く感じたのは、「歴史=年表暗記」みたいなイメージを抱いてる人が大半である、と。

これは高校まででやる歴史が受験用なので、そこで求められるのが暗記だったからしょうがないと。

正直な話、大学のテストで「○○○が起こったのは何年?」みたいのはありませんでした。僕が学生の頃でも「そんなのまとめて書いてある本を一冊持ってりゃ済むことじゃん」的な空気でした。(もちろん、「これくらいは当たり前」というある程度のハードルはありましたが)

ほんと、逆に専攻外のことはすっかり忘れてるくらい。学生時代にやったバイトで、そこの社員の方と休憩中に話すこと無いから「学校では歴史の勉強してて…」みたいなこと言っちゃうわけですよ。(こういうのは言わない方がいい。史学科あるある)

そのときの会話。

社員「894年(唐突)」

げ「…え?」

社員「遣唐使廃止だよー(嘲笑)」

クイズで☆1の問題が逆にわからない、みたいな感じでしたよ…。

えー、ここまでが本編に入る前の前口上ですよ!

職場で添付画像のような印刷物を発見しました。コピー機の中で。気がつかなかったらそのまま裏に印刷されてプリントアウト→用が済んだらゴミ箱ぽいコースですよ。

これもコピーなんでオリジナルはどこかで誰かが大事に保管してるのかもしれませんが、僕はスルーできませんでした。

古文書とか、当時の人はなんとも思ってなかったので手紙の裏に日記書いたり出納帳つけたりしてて。いざその時代を研究しようとしたときに「よく見たら裏の方に大事なこと書いてあるじゃん!」なんてよくあることで。

上に書いたように「年表なんて本を持ち歩いてれば」もそうですが、今は(歴史に限らず)学校でパソコンの授業だってあるわけだし、暗記力より、求める情報をより早く、正確に見つけるスキルの方が重要になって行くのではないかな、などと…。いや、完全にそういうこと言ってる人の受け売りですが。

というわけで、ここで僕がアップロードしたことにより、この情報はたぶん残る。クラウドしちゃうゾ〜。

脱線しますが、「個人がネットに上げたデータを本人の死後どうするか?」みたいな話題もよく見かけるようになりました。難しいですなあ…。

「歴史学は虚学」と先生も言ってましたし、自分もそう思ってました。ですが、この後に「でも、他の学問でもまずやることは『その学問の歴史』を勉強することだし、ある意味すべての分野での実学とも考えられる」と言ってたかな、と。

かなり無理矢理ですが、あの四年間…正直どうしようもない阿呆学生でしたが、ちょっと地面に足が着いた感じがして、無駄じゃなかったと思った。(感想)

余録

しばらく前になりますが、イタリアに留学してたイタリア君と会っていろいろ話しました。僕のイメージだと「もうイタリア人になっちまえよ!」と思うくらい留学してたはずなんですが、「三年くらいだよ?」…うーん、その割にあんま会ってないよな?「いや、確か一年前に」…あれっ?

そんなイタリア君と、イギリス君(イギリスに留学した男)について、

「俺たち枢軸同盟としてはあいつ敵だからな」

「うーん、でもその前に日英同盟があったわけだし…てか、お前(イタリア君)、裏切ったじゃねぇかよ!ドイツさんに謝れ!(ドリフターズネタ)」

こんな話ができるのも史学科ならでは。楽しかったので来月こそ飯食いに行こうぜ!

じゃあこれまで。(歴史教育についても一言書こうと思ってたけど、危険なのでやめときます。真・女神転生のように「ニュートラルな視線を保つこと」。ゲーム内でもそれはかなり難しい事だったように、現実でも難しいよ…でも頑張る!)

さようなら。( 完)

ここ数年よく思うんですが、「今までの自分はなんだったのか?」ということ。あ、そんな深刻な話じゃないっス。ゲームの話。

いろいろ用事をこなして夕方ゲーセンへ。クソ暑い中あちこち歩いてからだったので体力は消耗してる。

でも、ゲーム(シューティング)の調子はかなり良かった。久々に1クレで2-4を突破できた。

偶然かもしれないし、今まで練習した成果なのかもしれない。

それでも、明らかに違う何かがあった。メガネ掛けてるときと外してるときくらいの差があった。

今までの俺

「よーし、今日はシューティング廃人するゾ〜」→意気揚々と開凸→集中力に欠け、ミス大杉でgdgdになる→「じゃあ今日は帰りまーす」(店員さんに)

今日の俺
夕方に行ってちょっとやっただけで「私にも敵(弾)が見えるぞ!」

これはアレだな…今までは頭が寝てたな…仕事の都合とはいえ、そういう生活リズムだから…。

それだけの話。

んで、そのゲーセンからはシューティング撤去!ということになりまして、一年半くらいの間、色々御世話になったし、その分自分もお布施するwinwinな関係を築けた店員さんと喫茶店(怒濤流)で残念会。

のつもりが、ゲーセン今昔物語に。人生いろいろ、ゲーセンもいろいろ、基板だっていろいろ。

地元の友人には「やりたいアケゲーあったら、基板調達してくればウチでやっていいよー(1クレ128円)」などと吹聴してましたが、(最近のゲームもそうだけど)レトロ過ぎるゲームも特別なハーネスとか専門知識がいることがわかったので…無理かもしれん!ドルアーガとかすげぇ面倒なんだってw。

まぁ、現場でwinwinだと思ってても、それだけではどうにもできない流れがあった、てことですよ。

不幸中の幸いですが、そのシューティング(の一部)は近くの系列店で拾ってもらえることになりましたので、2周ALLして人間卒業するまで頑張りますよ。

(「最期にこんな無茶振りで申し訳ないのですが…ポスター貰えたりしませんか?」→「それはきびしいッス!」 鳥、跡を濁す!)

完!